私が料理人である為に

こうやって偉そうに語るのは本当に本当に久しぶりである。日記とかゲームの攻略系の
記事を書くのとはまた違った感覚だ。一種のライターみたいな…っていっても作者にそんな
文章構成力やひらめき?がある筈もないのだが(悲しいけどあるとは思えん)
(厳密にいうとこのコラムは1年と半年ぶりの執筆であるらしいです。(爆死))

まぁそもそも私が料理とここのコラムを更新しなくなったのは、ご存知の通り
就職して真面目に働いていたからである。今はやめてしまい長い春休み満喫中だが(爆)
「人生、休んでもよかとですか?(滅)」
勿論仕事とこれはこれ。両立させてる素晴らしいWebマスターさんも中にはいる。
中には作者と同じように月300時間働きながら更新するすんごい人もいる(ぉ
私も仕事をやめる頃から(つまり2001年が終わってから)は職場が暇になったので
(というか季節柄?客が全然こなくなった)web更新がようやく前の水準まで戻ったのだが。
2001年というシーズンはまさに最低最悪のシーズンであったといえる。職場に拘束される時間
が長かった。(汗)勤務地は市内、立地的にも悪くはない。(申し分ないとは今はいえない)
のだが電車の連絡待ち等がある為、普段なら25分の所が片道40分はかかってしまうのだ。
拘束時間帯は朝の8時半〜夜の11時。夏のひどい時には朝の7時から終電前まで休み無しで働いて
いた事がある。労働基準法が何であろうが、我々サービス業には関係ない法律である。

しかも、休みも月不定期で5日しかなく、好きな休みや連休は勿論の事、有給すらもとれない。
それだけ暴利を食っておきながら給料わずか11万ちょいである。(別の所なら20万いくと思われる)
それでも「最初は石の上にも3年」ぐらいがむしゃらになれと言う言葉があるように、3年は頑張ろう
と思ったが、最初の半年で既にやる気はなく1年でやめてやる気満々でしたょ(爆)
我ながら一番我慢したのではないだろうか? え、我慢たんねーよって?ぢゃ働いてみる?

新規オープン、それも商業施設(U○Jの事)の側という事もあって最初はどうなるのかなと思って
いたが、次第に方向性の見えない経営、経営不振による赤字、(給料未払いはないが)、そして先輩
らにも不満がたまったのか、わすが半年たらずで5人がやめていく結果となってしまった。
私が甘かったといえばそれまでなのだろうが、社会の厳しさ、自己の考えが通らない事を肌で痛感した。
まず無理やりにでも飲み会に連れて行かされ、その料金は自腹である事(ただでさえ少ない給料が(遠い目
そして自分の考えを上に言った所、それはあっさり却下されてしまった…
夢を見るなと。夢を見すぎる事は確かにいけないだろう。だがその人の夢を潰す権利は誰にも無いハズだ。

元来、歴史とは夢物語が作ってきたのはいうまでもない。不可能を可能にする…
それは無理だよ…で終わらせる上はいらないのだ(怒)無理といってるから無理なのだ。
無理だとか出来る訳がないと言ってる内に何も出来るハズがない。(無論、行動や努力は必要であるが。)
大人のエゴと利己主義的、あまりにもその古臭い考えを突きつけられた私は迷うことなく退職願いを出した。

「お前らの操り人形になるのはご免だ。やめる時くらい好きにやめさせろ」

俺の青春を返せ!とまではいわない。だがこの職業について、職業病なのだろう。腰をやってしまった。
今は大分完治しつつあるのだが。そしてこの古臭い時代に終焉を告げるべく今、何をすべきか…?である。
一つ間違いなくいえるのは、
「上が下を選ぶのではない。下が上を選ぶ時代だ」
ということ。そして戦後急速な成長をみせた日本であるが、現状は周知の通り、非常に厳しい
現状にある。このコラムを書いている間にも日本ハムやU○Jの不祥事、食中毒等多々な話題があった。
しかし不祥事は終わらないのである。

抜本的な…戦後からずっと変わらないその古い体制。そのツケが今回ってきているのだ…
ソムリエがワインをサーヴィスし、料理人が料理だけを作る時代は終わった。
次なる世代の為に…そして自分の為に…野望の為に…今何が出来るのか…
今年も早半年を残すのみとなった…少しでも自分の将来を…未来を…真剣に考えてみたいと思う。
まだ…やり直しはきくのだから…

P.S
しかも私だけやめる月に貰える正月休み3日間なしでフル(25日)働かされました。(苦笑
なんつぅケチな会社なんだっまぁんなコト愚痴っても始まらないんだけどねー(遠い目

2002.09.08 (2003.12.30訂正・加筆) 料理編No.7
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