言ってる事とやってる事の違い

書かずにはいられない。書けなかった事、伝わっていない事…
人はそれを思想主義、利己主義というのかもしれない。言われた事がある。
「自由には責任が伴うのだと。何でも自由になる訳ではないのだと…」

誰かに愚痴を聞いて貰えずにはいられない…2002年最初で最後(?)の愚痴コラム…私が去年味わった、
「何度目かの苦痛、現実と理想の狭間で…」
2001年度の最後の日記は殆ど書かれていません。そして2002年度最初の日記も。
空いた所には…ただ腰痛でやめたとかいてあります。ただ一身上の都合でやめせて頂きたく…
それから10ヶ月がたちました。あの頃に比べて毎日がとても充実しています。
現実という現実を嫌という程思い浮かばせてくれた「USJ」というスポットに
げんなりしています。一連の偽装や不祥事問題が無関係とはいいきれませんが、
何となくああなるだろうというどこかで予感はありました。それはやはり内部にいたからこそ、
危機感が募ったのかはしらないけど…何処か疑問符があった。腑に落ちない事が多すぎた。
なので私は2002年の1月、職場にサヨナラをしました。皮肉にも私がやめた後で問題が表面化
してしまいましたが(^^; まぁ…自業自得だし…(遠い目

給料面の不満、休みの不満、健康管理、扱いの不満、プライバシー侵害。そして何より
戯言と現実の不満。ありとあらゆる不満がたまっていました。いつかやめてやるぞ…必ず。
これは個人の戦いでした、企業に対しての。例え新規オープンで新人だとしても…
会社の為に言える権利はあるだろう。しかし会社は「誠意」という態度を見せる事はなく…
私は「騙され」、「駒扱い」され…そして捨てられたのです。
尚、ここまでひどくいってますがその会社は平然と存在しています。USJに3店舗も構えて…
そして東京に本社を置いて…ですがその会社の名前を今は挙げる事が出来ません。
サイトを運営する一人として、この店の名前を告示する事で私の恨みは幾分はせるでしょう…
でも今は名前を挙げる訳には行きません。まだほとぼりが冷めていないからです。
また時期がくれば改めてお話したいと思います。(というか十分バレバレ覚悟ですが…

事の始まりは入社当初からだったかもしれません。初めての社会…何もわからない社会…
どんな夢のような社会がまっているのだろう。料理人としてどれだけ輝いていられるのだろう…
しかし現実は違いました…夢を与える職業の何と難しい事か…理解していた筈なのに…
「人が遊んでいる時に忙しいのがサービス・接待・お水」である。「年中無休」なのである。
口でいうのは簡単。でも実際にやってみると違う。そして目指すコンセプトへの疑念。
とても辛い仕事でした。「希望」の文字がない職場(しいては施設)がどうなったか…
この不景気の時代には幾つ潰れたいったか…その中で最初に疑問を感じたのは8月でした。

実は5月のGWが終わった頃からUSJはどんどん人の流れが増え、活発になっていきました。
ホテルやマクドナルド等の商業施設が充実したのが主な理由でしょう。夏休みに入ると客は増える
ばかりでした。私と同期の新人さんが突如脱走しました…仕事が辛くなって逃げたんだそう
です。でも私は逃げませんでしたが(涙)逃げられなかったというべきかもしれませんが。
皆が皆業界に残る訳ではない。1000人が料理人を目指して10年後料理人をしている者は
1割に満たないと。だから1年に3〜4人の脱走は当たり前といわれています。

しかし私が勤めていた店では私がやめる前に厨房だけで5人やめていました…(汗
辛かったから…それだけではありません。最初にもいったように、夢も希望もないのです。
新規オープンだというのに毎月のように赤字を出す店に何を期待し、また何をしたいのが
まったくわからないのです。いわせてもらえばちょっと高いファミレスです(爆
でもきょうびのファミレスの方がもっと美味くて安く食えます。サービスが最悪です。

料理人は殆ど正社員。でもホールはバイトだらけ。それを教育する人間もいない。
料理とサービスが上手くいってこそ美味しい料理は出るのに…ただ出来た皿を運ぶだけ…
ロクにメニュー名も言えない、オーダーミスはする、いつも喋ってばかりいる…
そのくせ上はこの事に関して全然気にするそぶりすらなし。スーシェフ(つまり副料理長)
は落胆したのかしびれを切らしたのか開店わずか半年で店を去りました。
実は私もこの時…先輩にどやされ店をやめる気でいましたが、先輩に言いくるめられ、
残ってしまいました…そぅ私に選択肢はなかったのです…
「当時17の私は死んでも18までフリーターになる事は出来なかったのです。中卒という学歴
でもある為、やめた場合次の店で正規に働けないという最大の弱みがありました」

この問題を出されると残らずにはいられなかったのです…但しこの時に私は自分の引くべき時
を既に引いていましたが(つまりやめる時期を決めていた勿論親以外の誰にも話さず…)
スーシェフは去りました。オープン時に手伝ってくれたヘルプさんも帰りました。
そして…新しい正社員が来るとなった途端…またも店は大きく揺れ動いていたのです…!
新しい正社員がくる直前、社員の一人が油で大火傷を負い、入院を余儀なくされました。
そして今度はNo3(スーシェフのすぐ下)までもがやめ、新しくきた社員までもがやめたのです!
これでキッチンのスタッフはヘルプが帰り皆やめていった為、いっきに半分程度まで減って
しまいました。勿論冬に向けて店は客足が鈍っていったし…店は回転していたのですが…
それでも毎月の赤字という現実からは「正社員」の補充と「2店舗目の計画」は破産したのです。
そしてさらに突き詰めていうならば…来年の「正社員」も取る気が無かったのです!

人は減るが補充はしない。労働は増える。でも勿論残業は出ないし給料もすえおき。
普通、新規の新卒社員をとる場合は会社訪問というのが必ずあると思います(汗
つまり現場をみて職場をみた上で面接をします。事実私も何社か面接しましたが必ず訪問がありました。
しかし私が就職した店は新規オープンなので無かったのです。(おかげて内装のデザインめちゃくちゃ、
厨房のシステムが最悪(オープンキッチンなのに洗う場所が裏にしか無い、水切りがない、排水溝は
施設内一綺麗と自慢していたようですが…実際は施設一汚い(爆)と…もぅ嫌な部分
みえまくりです。大体排水溝には溝をつけて穴を空けとくへべきかと…そうしたら水漏れしないので。
でも段差も溝もなく…洗い作業をすれば巨大冷蔵庫の中が水浸し(汗 食品衛生法でいう所の………(滝汗
食中毒をわざわざ招いてるというか…(大阪市の食中毒検査で有菌でました(汗

これらの大事な事を上は本当に何も考えていないのか?皆疑問に思っていました…
そして私は地獄のクリスマスを迎え遂に決断しました。実はクリスマスはとても忙しく…
夏休み以来の朝7時出の終電帰り(家付き1時でした…この時に疲労がピークにきていたのか…
腰をいわせてしまいました。いわゆるヘルニアです。職業病と業界ではわりきられています。
とても…とても痛かったです…歩きたくても歩けない…腰のあたりからピリピリくる痛み…
当然といえば当然かもしれない…朝から半日以上もずっとたちっぱなしなのだから…
痛みも限界に走り…療養をしたいという願望もかねて、前回の二の舞を踏まない為に
2回目の抗議をしました。はかしそこでも想像した通りの答えで、私が提唱するコンセプト
は料理長にあっさり切り捨てられてしまいました。そして来年まで働けと…また私に捨て駒になれと…
私は始め、イタリアンやフレンチの本格的なコース料理を学びたいといいました。それが実際は、
パスタ、ピザ、寿司、中華、和食、揚げ物…何でもありぃのちょっと高いファミレス…
そんな店だったのです。私は自分の考えを上にぶつけました。上はその問いに対し、
「何が不満なのだ?(怒」と言いました。コース料理もやっている、もう少し頑張れば
本店(アメリカ)にもいける…「一体何が不満なのだ」と言われました…私は唖然としていました…

今まで2年もフランス・イタリアを専攻し、フランス・イタリアまでいった私は一体何だったのかと(笑
もぅピエロ状態です。笑うのを通り越して呆れ果てるしかなかったのです。誰がアメリカ等にいくか!(怒)
俺はパスタが好きだ。イタリアやフランスの欧州料理が大好きだ。勿論料理人である以上、すしや和食、
中華をないがしろにしていい訳ではない。それは解っている。だが必要以上に取得する必要が本当にあるのか?
それに歳をとってからいくらでも勉強出来るだろう。年寄りは後は金を貰うだけだ(月\200万貰ってたらしぃし)
だが俺の料理人としての人生はどうなる?俺はお前らの言いなりか?そうはいかねぇ…少なくとも
「人の夢を奪う権利は誰にもない筈。その人の人生はその人の物だ。迷惑をかけなければ何をしようが自由だ!」
そして…最後までいいなりになるのか?いゃそんな訳にゃいかねえぜとばかり…俺の人生は俺が決める。俺は
あんたらの引かれたレールを走る為にいるんぢゃないと固く決意しました。他人の意見に耳を傾ける事も必要だろう…
だが時には自分の人生は自分で決めなければならない。それが「大人」である「証」なのだから。
実際既に社員の半数以上がやめたいと思っていました…先輩らの意見にも耳を傾けました。もしここで私がまった
をかけたら…もぅ一度ここで我慢していたら次は私がいつやめれるか未知数だったのです。これは賭けであったとも
いえるでしょう。(私がやめるといったのを撤回した後にスーシェフはやめたんだよ?(苦笑)
もぅ騙されない…そぅ…今年私の中にもっとも輝いた言葉があります。

「一度騙された者にはまた騙される!」

米国の大統領J.ブッシュ氏が、イラクのサダム・フセインに対し言った言葉です。
私は縁を切りました…この店には縁がなかったのだと…新しい18の人生の門出に…

後書き…
とりあえず言いたい事はまだまだあります。怒りしかありません。給料面は特にお笑いですが、
一日休み不定の月25日、一日平均労働時間12〜13時間。いゃこれは当たり前といえば当たり前でしょぅ。
だがそれだけ働かせといて手取り11万て!(爆 よく暴れなかったものです…いゃ暴れてもよかったけど(汗
今時バイトで働けば余裕でその2倍以上手に入ります。しかも仕事量、内容同じで。これでは後学の為に
何か役にたつのだろうかと?社会勉強はさせてもらいましたが高かったです(はぅ)

しかも行きたくもない飲みに連れて行かされ(勿論酒は飲めない(個人でたまに頂いたりはするが
1〜2ヶ月に1回月\10000が財布から消えていく…一体私は何をしているのだ?(笑)
最後の月なんて最後の月なんて、、皆給料は払えない分は休みで還元なのに、、私だけ正月休み「3日」無いし!(爆)
しかも最後の月の給料他人より3日多く出勤しながら少ないし!無いし!(爆 これで何処に誠意を感じろと?(滝汗

去年の出来事は以上のような流れになっております(汗 ここまでの長文を読んで頂いた方はまぁまずいないと
思いますが、が、もし読んだ方がいましたら、このような駄文に付き合って頂きありがどうございました。m(_ _)m
自分で言いたい放題、倫理だの意識せずつっぱして書かせて頂きました。まだまだ文書の構成、表現力が子供なのは
お許し下さい。説明くさい、主題をとっとと書けというお怒りもお察します。今年最大の戯言と思って頂きたく…
来年も激動の歳になるでしょう…でも自分の夢をもって、向上すべく自分に出来る「何か」を目指して頑張っていきます
ので、応援して上げて下さい(汗)そ最後に〜次は有意義なコラム書くから許してね〜って事で(ぁ


2002.11.10 (2003.12.29修正・加筆) 戯言編No.7
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