遅刻。

――十七歳、男、高校生の場合。

 朝明け。太陽の明るい光がカーテン越しにもれている。
さっきから目覚ましがけたましい音を鳴らし、起きる時間である事を知らせている。
どれぐらい鳴っていたのかは解らない。意識が朦朧(もうろう)として、気付かないからだ。
『起きなきゃ…』
 頭では解っていても体が言う事を聞いてはくれない。そう―まるで金縛りにあったかのように。
何とか体を起こし、目覚まし時計に手が伸びる。

……部屋中に響(ひび)き渡っていた目覚ましの音は確かに止まったようだった。
だがこのまま寝てしまっては二度寝というオチである。けだるさが残るが、己の顔に気合を入れ、起き上がる事にする。
ふと時間を確認すると、時計は既に八時過ぎである事を告げていた。
「やべぇっ!」
 みるみるうちに眠気が何処か遠くへと消え去っていく。パジャマを脱ぎ捨て、急いで身支度を整える。
鞄に忘れ物がないかを確認すると、一目散に扉を飛び出し、そのまま居間に直行する。
普段なら洗面所で顔を洗い、寝癖を整え、歯を磨くのだが、既にその猶予(ゆうよ)は残されていなかった。

 居間では母が一人、朝食の後片付けをしていた。
「あら、あんたまだいたの?父さんならもうとっくに出たわよ。」
 確かに父の姿が見当たらない。既に出掛けたようだった。
「それはそうと…朝ご飯食べる?食べない?」
 母は時間に余りゆとりが無い事を悟り、簡素に用件を伝えてくる。
「食べる。ってか食べないと授業中倒れる。」
 僕も用件を簡素に返した。母は手早く食卓の上に朝食を並べていく。
今日のメニューはご飯と味噌汁、そして和風サラダと玉子焼きだ。
「いただきます」
 僕はそれだけを言うと、ご飯にほおばり始める。玉子焼き、サラダにも手を伸ばす。
我ながら食べる順番なんてあったもんじゃない。とにかく胃に流し込む。そんな表現が似つかわしい。
そして喉の通じが悪くなったかと思えば、味噌汁で流し切ってしまう。
母はそんな光景を見慣れているせいか、口を挟もうとはしなかった。
「ごちそう様。」
「お粗末様でした。」
在り来たりの会話。話したい事、言いたい事はある筈。だが時計の針は既にギリギリの数字を指していた。
僕は手短に用件だけを伝える事にする。
「じゃあ…(学校に)行ってくるよ」
「はぃ。行ってらっしゃい」
 母も短く返してくる。用件を伝え、僕は居間から出て、玄関の方に駆けて行く。
靴を履き、扉を開けようとすると、母が微笑みながら「気をつけていってらっしゃい」と声をかけてくる。
僕は玄関の扉を開け、駆け抜けるように走り出していく。

「はぁ…はぁ…」
 家を出て数分が経っていた。朝食を食べてすぐの運動に、体が拒絶反応をおこす。
「こんなんだったら…ちょっと食べる量減らすべきだったかな」
 そんな事を口にしつつ、回りを見渡してみる。既に同じ制服の姿は見当たらない。
「…もしかしてアウト?」
 ふと自分の腕に付けた腕時計に目を向ける。既に予鈴の時間を過ぎていた。今から全力で
走っても、本鈴までに教室にたどり着くのはほぼ不可能だろう。こうして僕は今日も遅刻した。


――二十五歳、男、社会人の場合。

 眠さとけだるさで意識が混沌としている。恐らくは夜遅くまで起きていたせいだろう。
ベットで寝る事もせず、気付いたらテーブルにもたれかかるように眠りこけていたらしい。
本を読んだまま寝たのか。それとも酒を飲みすぎたのか。意識がはっきりとしない。
 まだ日はそんなに高くは昇っていないが、太陽の眩しさが朝である事を告げている。疑いようもない事実だ。
時間は七時半を回ろうとしていた。耳元で目障りな音を鳴らしていた目覚ましを止め、寝ぼけながらも思考をめぐらせていく。
「今日は…えっと…通常シフトだから…十時までにいけばいい筈…」
 本当は二度寝して遅刻するなど、社会人として許されるべき行為ではない。起きて仕事に備えるべきだろう。
だが“慣れ”がそうさせるのであろうか、それともおごりだろうか。今日は仕事に疲れて眠い。そう考えると
逆算して間に合う時間を考え、目覚ましをセットした。「おやすみ、俺…」

 仕事に慣れると人は無意識のウチにいつも乗る電車から数本遅れて乗る。何も社会人に限った話ではない。
電車、バスで通学している学生でもそうだ。何も早く行く必要は無い。ギリギリ間に合う時間の電車に乗ればいい。
だが、そんな時に限って事故が発生して遅延する。私は学生時代の頃、母に口を酸っぱく言われた事がある。
「事故、遅れなど、何があるか解らないからいつも一〜二本の余裕を持ちなさい」
 ごめんよ母さん。言いつけを守っていない悪い子さ。だがそんな悪い子も今や社会人として七年目。
社内での仕事もある程度は任される程になった。親に迷惑をかける放蕩(ほうとう)息子ではなかった。
『……何があるか解らない?』
 その言葉の意味をまだ頭が回転していない脳で考える。
『駄目だ、まったく思いつかない』
 眠たい時の思考力なんて頼りにならないもの。意識が朦朧(もうろう)としていては解り辛いだろう。
それより今は業務に支障が出ないようにきちんと睡眠を取っておかなくては…次第に意識が薄れていく。
 だが一度気付いてしまうと、気になりだすのが人の性と言うもの。私は睡眠の半ば途中で目覚めた。
「たまにはゆっくりと朝を過ごすのもいいな」
 普段だと朝からコーヒーを飲む暇もないが、今日はゆ・と・りがあった。ポットにお湯を沸かし、
コーヒーを入れて、テレビを付ける。
「う〜ん、社会人としての朝のたしなみ…」
 朝からちょっとした悦に浸っていられるのも、ゆとりがあるが故である。

 新聞を見ながら朝食を頂いたり、朝を十分満喫していた矢先に一通の電話が掛かってくる。
着信の相手を確認すると、上司だった。もしかして何かあったのだろうか?そんな考えが頭を巡っていた。
「電話に出ないと…」
 私は恐る恐る電話に出て挨拶をする。
「おはようございます」
「馬鹿もんっっっっ!何がおはようございますだっ。今日は早朝会議だぞっ。
 既に君以外は全員出勤しているというのに、君は一体全体何を考えとるのかねっ!」
 いきなりの上司の大声に、私は驚いていた。
「会議…ですか?」
 とりあえず返事をしないと…そんな思考が働いたのか、生返事を返してしまう。
「寝ぼけるのもいい加減にしたまえっ!昨日ちゃんと伝えておいただろう。明日は緊急で早朝会議があると」
 上司がもの凄い剣幕でまくしたてている。怒声染みた声に驚(おどろ)いてしまい、
朝の余韻(よいん)はすっかり吹き飛んでしまった。上司の『昨日…』を頭の中で思い出しているが、
記憶が無い。恐らくは帰り際に言われたので頭に入っていないか、連絡がきちんと行き届いていなかったのだろう。
「すいません。勘違いしていました。今日はてっきり通常通りかと思っていましたので」
 とりあえずは上司に釈明しておく。
「ったく…まだ来てないのは君だけだよ。頼むよ本当に。私にしわ寄せが来るんだからね」
 上司は怒り心頭ながら、半ば呆れている様子だった。
「申し訳ありません」
「頼むよほんとに…」
「これからチョク(=直行)で行きますので」これから社に向う主旨を先方に返しておく。
「あぁ、解った…」
 上司との会話が終わった。「ふぅ…」上司との電話が終わり、私は一息吹く。
「まさか、会議が入ってたなんてな…」
 急いで社の方に向わなくては……。こうして私は会議に遅刻する羽目となった。社に到着したら厳重注意されたのは言うまでもない。


――十四歳、女、中学生の場合。

 窓から射し込む光と鳥のさえずりが朝である事を告げている。
太陽の眩しい光に目が覚め、私はベットから体を起こす。
「ん〜っ…」
 今日は一人で起きられた。そう思うと朝からご機嫌になってくる。
「ふぁぁ〜」
 私は両腕を思いっきり伸ばしながら、背伸びをした。
「たまにはこんな日があってもいいよね…」
 ……そう。私は朝がちょっぴり苦手だ。いつも一人で起きる時は“ギリギリ”な事が多い。
だから……たまにはこんな日があってもいいと思う。そんな事を考えながら目覚ましに目を向けると…
「あぁぁっっ! なんで八時回ってるのよぉ〜」
 ……何ともお約束の展開である。急いで学校への支度を済ませ、そのまま扉を出て階段を駆け下りた。
洗面所で手早く朝のセット(お手入れ)を済ませ、私はダイニングの方に急いだ。
「お母さんっ、どうして起してくれないのぉ…」
 そんな定番の言い訳をしながら、扉を開ける。
「あらあら…もぅ中学生なんだし、朝ぐらい一人で起きれるようになりなさいね…」
 母は呆れながらも朝食の準備をしていた。
「朝ご飯…どうするの。食べていく?」
「ごめんっもぅ間に合わないから…」
 ゆっくり食べる時間はもう残されていなかった。私は適当にジュースとおかずをつまみ、玄関の方へと駆けていく。
  「まぁ…困った娘ねぇ…車に気をつけていってらっしゃい」
 母の声が後ろの方で聞こえる。私もそれに合わせるように返事をする。
「はぁい。いってきまーすっ!」

 玄関の扉を開け、学校へ向って走り出す私。予鈴の時間も既に過ぎた様子だった。
それでも私は諦めることはせず、一生懸命、出せる限りのダッシュをする。
 「はぁはぁ…」
 校舎が見えてきた。校門まで後少し。息切れをしながらも懸命に走り続ける。
「はぁ…がっ学校だぁ…」
 校門に入るとほぼ同時に本鈴が鳴る。私は教室に向って急いでいた。
教室の扉を開けると…そこには既に先生が立っていた。先生は笑顔を見せながら私に挨拶をしてくる。
「おはよう」
 私も挨拶の返事を返す。
「あっ…おはようございますぅ。」
「ばかもぉんっ! もぅすでに授業中だぞっ!」
「ご、、ごめんなさぁぃ…」
 先生の怒声が教室中に響き渡る。そして教室からは小声の笑い声が…こうして私は遅刻する羽目となった。


……遅刻。遅れるのには色んな理由がある。だが遅れる者に重要なポストは回ってこない。
人生に遅延はないのだから。確かに間に合えばセーフ。そんなギリギリを目指すのもいい。
だが出来る事なら時間にはゆとりを持ってみるのもいいかもしれない。
タイムイズマネー。時は金なり。貴方には猶予がありますか。


――後書き。
 どもー久々の小説っぽい?モノを書いてみました。ごくありふれた日常。当たり前を当たり前のように
書くのって難しいですね。虚構あっての小説だったりするんですが、今回は現実路線で書いてみました。
というのも私は今まで「遅刻」という経験をした事がないので、私にとっては非日常だったりする訳です。
「遅刻」が日常化している人にとってはここは可笑しいという部分も多々あるかもしれません。(苦笑)

 ん〜課題としては、20行の短編×三つぐらいで予定していたんですが、書けば書く程長くなる羽目に。
表現方法とか、決められた文字数内で締めるとか色んな課題が山積みですが、頑張ります。(2004.12.31)

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